2021年度4年生一斉授業で1名空きができました。

2021年度4年生一斉授業で1名空きができました。4年一斉授業をご希望の方はお早めに受験ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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新4年生は満席となりました。

2021年度新4年生一斉授業は満席となりました。4年一斉授業をご希望の方はキャンセル待ち承ります。どうぞよろしくお願いいたします。

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2021年度新小学4年生「入塾説明会」11月3日開催のお知らせ

【2020年新4年生入塾説明会実施要項】

2020年11月3日(火)文化の日 

①13:00~14:30【満席になりました】

②15:00~16:30【満席になりました】

2020年11月23日(月)勤労感謝の日

①13:00~14:30【満席になりました】

新設②15:00~16:30【満席になりました】

予定しております説明会は全て満席となりました。入塾ご希望の方はお問い合わせください。定員となっていることもございます。ご了承ください。

ご本人には入塾テスト(30分)を受験してもらいます。お家の方には、小学校教育と中学受験の現状・教育理念・教育方針・小野メソッドについてご説明いたします。 ※原則本人とお家の方お一人(またはお二人)にてお願いいたします。 メールにて①②の時程よりご希望をご連絡ください。ご都合つかない方には、別途説明会を設定いたします。詳細をご返信いたします。

なお、定員に達し次第募集を停止いたしますのでご了承ください。

どうぞよろしくお願いいたします。

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中学受験で合格するための低学年での過ごし方について

「3歳までに脳の配線が決まる!!!」などという脅し文句を聞かれたことがあるかと思います。また、幼児期や低学年でもどんどんと知識を吸収していきますから我が子は天才かとお思いになられるかもしれません。早期教育で決まるのだという情報も飛び交っています。ただ、どんどん覚えるからと言って駆け足で学年を先取りしていったとしても、いつの間にかただの人になっていたという例は後を絶ちません。こうした教育産業の営業トークは話半分で聞いておいた方が良いです。なぜならば、子供たちには発達段階というものがあり、脳も少しずつしか発達していかないのです。ですから、脳の配線が決まるとか焦ってどんどん詰め込んで脳の配線を逆にぐしゃぐしゃに混線させてしまっていないでしょうか?その時期時期にやるべき最適なことがあるので、早期にどんどん覚えさせていったり、どんどん先取りしたとしても、大きくなったら全部忘れていたり、逆に脳が正常に発達せず知性が破壊されただけになることもあります。

そもそも中学受験は足の速い子のための受験なので、昔であれば飛び級していた子たちなので、ある程度カリキュラムを先取りすることは必要です。しかし、低学年の時期にやるべきことを飛ばして高学年の内容をやるととんでもないことになります。低学年の内容もペーパーレベルのことが出来ているからと安心していませんか?高学年は座学でペーパー中心ですが、低学年はまだまだ体験や体得といった「習うより慣れろ」という「訓練」「躾」の部分が大きいのです。感覚として身につけなければならないことがたくさんあるのです。ですから、何度も何度も繰り返し単純なことを身につけていかないと、6年生になって偏差値が60もあるのに、「順序数(前から何番目)」と「集合数(前から何人)」といったことが出来なかったり、(※数列における1ズレの問題)「和分解」と言われないと手が動かなかったりします。みなさん1年生の算数をバカにされていて「たし算(あわせていくつ)」と「ひき算(ちがいはいくつ)」の計算が出来ればいいだろうぐらいに思っているかもしれませんが、結構入試でもその考え方に関する問題が出題されているのです。n進数(法)なども1年生で習う10進数をもととして2進数3進数の仕組みがあるのです。「和」と「差」の概念も大切な身につけるべきことなのです。

にもかかわらず、低学年から高学年の問題集を簡単にしただけの焼き直しのような問題集でペーパーワークをどんどんやらせても、あまり意味がないということになります。小学校の科目は実際の生活に密着した具体的かつ現実味のある事柄がほとんどです。算数もその例外ではありません。実生活のなかでいかに算数を現実味のあるものとして体得できるかということが重要なことなのです。ですので、小学校ではあれだけの時間数を取って概念形成を体得させているわけです。たったあれだけの内容を1年かけて習得させるのには意味があるのです。特に親が書類仕事やさまざまな活字を大量に読むような仕事をしている場合に、そうした訓練をバカにする傾向があり子供たちも影響を受けます。「少ない量を精読して繰り返し訓練することは後にとても大きな力になる」ということを言っておきたいと思います。

また、幼稚園時代にあまりストーリーを追って読書するようなものばかりを与えていると小学校に入ってからの訓練を嫌がるようになることがあるため注意が必要なのです。

そうなのです。親が教育熱心であることによって弊害が出てくるのです。いろいろな知識を与えたがる過程では知識教育を推し進めすぎてしまい、繰り返しの訓練をないがしろにする傾向があるのです。子供は覚えたことを1カ月もすればすべて忘れてしまうことを知っておいた方がよいでしょう。

よくあることなのですが、どんどん学習を進めていくタイプのお家の子供は基礎基本で躓いていることをなかなか認めたがらずに、「そんな簡単な問題なんて今更やれるか」となってしまって、「もっと難しい問題」と言って頑張るのですが、かなり昔にやったことなので忘れているということに気づかないのです。そしてさらにテストの結果がボロボロになっていきます。

2年生かけ算3年生わり算でも身につけなければならない概念があるのです。これらを身につけないといけないのですが、わりと最近は計算が出来ればOKということで意味も分からずに進んでいる場合が多いです。これらの計算式の意味が分からなければ文章題が解けなくなります。意味が分かっていないので使えないのです。答えで何が求まったのかが分からなくなるのです。塾やネットでよく「小学校の先生たちは、かけ算の順番をうるさく言うけれども数学で習うことになる交換法則を知らないのか?」という意見があって、どうでも良いのだという派がいますが、とんでもありません。算数は数学ではないので数学で論じている時点で論が破綻しています。しかも、私から言わせてもらえば「小学校でも計算の順序で順番を逆にしてもよいと習っていることを知らないのか?」ということになります。これらは、わり算になってから「等分除」と「包含除」という2つの意味を習うのですがかけ算の意味が分かっていないとわり算が分からなくなるのです。わり算の意味が分からないと「小数」や「分数」が分からなくなります。また、「単位量当たりの大きさ」が理解できなくなり、ひいては「速さ」「割合」「比」といった単元が意味不明になって算数・数学が終わってしまうのです。算数はすべてつながっているため、概念形成を綿密に設計してあるわけです。ですので、小学校の先生方、こうした「かけ算の順番なんてどうでもいいのだ」という風潮に負けずに頑張って教えてあげてください。特に都市部では親がインテリで高学歴の場合も多く見受けられ、幼稚園や小学校の先生たちが言うことを軽んじて言うことを聞かない傾向にあります。これが後々の大きな躓きの元になっているということも付け加えて言っておきます。※かけ算とわり算の概念形成の詳細はここでは割愛させていただきます。※かけ算の文章題の立式は順が関係ありますが、計算する段であれば当然ですが順序は桁の少ない数を数をかけたほうが簡単に計算できて、暗算できたりします。その順序まで守れというのは違うと思います。

小学算数にご意見のある方はちゃんと学習指導要領を学んで算数の概念形成の大切さを勉強してからご意見されるようになさったほうが恥をかかずに済むと思います。かなり昔のことで覚えていないのかもしれませんが、いったん概念形成したら当たり前の事でも、これから習う子供たちにとっては先天的に概念は形成されていないのです。自転車に補助輪なしで乗る時には随分と悩んだり転んだり手伝ってもらったりして乗れるようになったかと思いますが、乗れるようになったら思い悩む必要はないのです。身についてしまったから当たり前に乗れるのです。すっかり忘れていてもそれは仕方のないことだと思いますが、昔の先生たちのご苦労ご恩を忘れてしまっている大人の皆さんは感謝の念を持ってもバチは当たらないことと思います。

これらのことを概念形成と言います。

適切な時期に適切なことをしていないと後で大変なことになりますから、分相応でコツコツと前進していってください。(2%いるというギフテッドのみなさんはどんどん進んでください。)ほとんどの人は、低学年で間違った促成栽培をせず、中学受験の時にアウトプットばかりの頭を使わない機械的な学習で知性を破壊されていなければ、(大量の宿題からの睡眠不足による脳の萎縮なども含む)努力次第で東大には入れます。東大理三は難しいかもしれませんが、それ以外なら合格できることでしょう。

さて、小学校低学年と小学校高学年とでは、違う生き物だとおっしゃる先生がいらっしゃいます。その通りでやはり低学年は動物的属性がまだまだ強いので、規則正しく人間らしい生活習慣を身につけないといけなくて、躾と同様に繰り返し繰り返し来る日も来る日も訓練しないと身につかないものなのです。覚えてもすぐ忘れます。(知的可塑性に富み知的排泄力が強い)逆に忘れるからどんどんと吸収できます。ですから、繰り返しの訓練が大切なのです。また、低学年は素直で自我が芽生えていませんから記号的暗記に最適です。高校生に文字を教えようとしたら、文句ばかり言うでしょうね。想像してみてください。「なんでこれが『あ』なんだ」とか理屈ばかりこねくりまわして素直に習得できないことでしょう。なので記号的暗記の時代にいろいろと基本的なことを学ぶのです。単純な漢字や単純計算も低学年のうちに習得するわけです。そして、低学年の算数は暗算レベルですべて処理できるぐらいになっていないと高学年の計算ができなくなり、「倍数と公倍数」「約数と公約数」「最小公倍数・最大公約数」が出来なくなって、分数計算で躓くのです。このように芋づる式に算数はすべてつながっている科目なので、きちんと低学年の内からコツコツと土台を積み上げていく必要があるのです。

私も教育県でもある出身県の小学校の先生方に概念形成していただいたおかげで今の算数数学の力があると感謝いたしております。

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「知性が破壊される」ということについて

 いくら身体に良いからと言って入院患者が健康になりたいと考えてライザップに通い始めたら医師はなんというでしょうか。血相を変えて「死にたいのですか?今すぐやめて安静にして体力の回復を待ってください」と止めることでしょう。みなさんも「いくら身体に良いことだからと言っても筋トレはいかんでしょう!」と思われることかと思います。

 しかし、受験勉強においては安静の必要な病人に対して、健常者が身体を鍛える筋トレというハードなトレーニングをすることと同様のことを当たり前にしている現状があります。すなわち教えてもらえない演習中心の大手塾等が取る授業手法は、「もうやることがなくて暇で暇でしょうがない」という基礎基本ができていて学習済みである、またはものすごく理解力がある子たちが通ってはじめて成果が出るのです。それを何を勘違いしたのか、すでに家庭教師や個別指導で四谷の予習シリーズの4,5年を学習済みで復習で通っている人たちと同じようにしていては、頭脳を鍛えるどころか壊してしまっても仕方がないのです。もともと中学受験は「足の速い人」がするものであったのですが、そういう人たちは、「ものすごく足の速い人」であって、本来的にものすごく理解力がありギフテッドなのです。ギフテッドと同じようにやっていては身体を壊すのは当たり前のことです。

 そうしたことから、大手塾では復習で通う人たち向けの演習ばかりの授業になっているのだそうです。なぜなら、そういう御三家をはじめ、偏差値70程度の学校を確実にたくさん合格してくれるV.I.P.の受験生たちに逃げられては、大手塾の合格実績は維持できないから当然の成り行きと言えば成り行きでしょう。

 そもそも大手塾のテキストは、開成上位合格,筑駒合格のために設計されていて、当てはまらない人たちがすべてを同じようにやろうとするのは、「ライザップで筋トレ」どころか「ボディビルの大会でムキムキになって優勝しましょう」ぐらいの超ハードなトレーニングを課すぐらいのことなのでしょう。すべてをやる必要はまったくありません。あれは様々な状況を想定してすべてを盛り込んでいるだけなのでよくわかっていない人が使うととんでもないことになってしまいます。では、どこをどのようにやればいいのかは「企業秘密」ですから塾生たちにしか教えません。あしからず。

※そこまでやらなくとも、小野算数塾では、そういう人たちと対等に勝負、いえそれ以上に頑張れるメソッドがあります。過去の教え子たちの模試での全国1位とか3位,5位,偏差値77や偏差値40アップなどで証明済みです。

 そもそも中学受験で難関校を志望するならば、予習シリーズを自学自習したり個別指導で教えてもらうことまでせずとも、小学校の教科書レベルのことがある程度出来るようにしておくことは必要でしょう。また、低学年の「概念形成」が完璧に出来ていないようだと、それが高学年での算数でのつまずきの原因となります。最近は低学年の算数の「概念形成」と言っても「かけ算」の意味がわからず、それにともなって「わり算」の意味がわからないため、自分が何を求めているのかがわからない小学生が増えています。

 よくネットで、小学生の「かけ算」においても交換法則が働くから順番や意味なんてどうでもよいのだという一派が主張を繰り返しています。「1つ分×いくつ分=すべての数」という「概念形成」不要論を唱えている人たちがいますが、それはわり算もかけ算として処理する「数学」の話であって、「算数」を「数学」で論じている時点で議論が破綻しています。はっきり言っておきますが「数学」と「算数」は違います。「算数」は「数学」の基礎となるものではありますが、「数学」は「算数」で利用できないのです。「方程式を使ったら楽なのでは?」という短絡的な方もいらっしゃると思いますが、そんなことをしたら泥沼です。機械的にしか問題を捉えられなくなって中学受験は「ジ・エンド」となります。もちろん、方程式らしきものを小学生が使えるような考え方で使用する場面はあります。それは、その時だけの話であってすべてに援用するととんでもない考えられない受験生となってしまいます。よく入試問題の過去問題集の解答解説を読んでいると、たまに数学的に処理していて難解な解法となっていて「理解を拒絶する」問題と化して「捨て問」に見えるものがありますが、それは算数で解けばとても考え抜かれた「良問」であったりします。このように「算数」は奥が深いのです。

 実際に、「かけ算」の意味を適当にやっていると、次の「わり算」において何が求まったのかがわからなくなるのです。しかも、わり算で求めている考え方は、「割合」へとつながっていくため、とても重要なのです。倍分の考え方が自然に身についた大人たちは、忘れているだけであってそれは小学生時代に「概念形成」されていて自然な感覚として身につけたから、いま問題なく出来ているということなのですが、そのことは忘れ去っているだけなのです。自転車に乗れる人が、その乗り方のコツをいちいち考えますか?考えもしないでしょう。身についたものは、もう考えなくてもよいのです。「どうも、よくコケるな」「どうも人より遅いな?どうしてスピードが出ないのだろう?」などと言う場合にはじめて、基本に立ち返って「どうすれば自転車を人と同じように乗りこなせるのだろう」と考え、フォームの改造が始まるわけです。成長したのに椅子の高さが昔のままだったということもあるでしょう。「どうりでこぎにくいわけだ」と・・・

 さて、「知識なくして議論なし」なのですが、そういう状態で「問題演習」ばかりを積み重ねていくと「知性が破壊」されてしまうのです。それはどういうことかと言いますと「当たり前のことを当たり前に考える」ことが出来なくなってしまうのです。子供たちとしては当然の自衛手段でしょう。訳が分からないから覚える。わからないから適当に数合わせをして答えを出す。とにかく「答え」「答え」「答え」の答至上主義の始まりです。

 実は勉強とは「答え」を出すためにやっているのではなく、その途中経過の「考え方」や「仕組み」を理解して活用し身につけるためにやっているのです。答至上主義となるのは本末転倒と言えましょう。

 例えば、とても簡単な問題で「1個60円のみかんと1個110円のりんごを合わせて28個買いました。みかんの代金がりんごの代金よりも830円高くなったとき,みかんは何個買いましたか?」と言う問題があったとします。これは面積図いわゆる「てっぽう図」を利用できません。いわゆる「つるかめ算」の基本的な「すべてをどちらかのみで考える」という考え方を使います。次に「つるかめ算は差集め算」なので「差がいくつ集まったものがどこと等しいのか」を見つけるだけです。

 「すべてみかんを買っていたら みかん60×28=1680円 りんご0円なので みかんが1680円高くなります。」でも830高いだけなのです。みかん1個をりんご1個に交換すると みかんは60円減って、りんごは110円増えるので差は「170円縮まる」のですが、ここが機械的に解いてきた人は、よくあるつるかめ算と同じように思ってしまうのです。そして、何も考えずに差の110-60=50円としてしまうのです。そうではなくて、1個交換するごとに170円ずつ差が縮まるので、(1680-830170=5個交換すればよいということとなり、りんごに交換するので、実際のみかんの数は28-5=23個です。

 この170円がなかなか出てこないのです。考えることが面倒なので問題の解法を覚えにいってしまうのです。ですから普通に考えればわかることがわからなくなるのです。それをこうすれば答えが出る式で学習していては少し場面が変わったとたんに解けなくなるのです。

 もうひとつ。例えば、向かい合って進む旅人算がありますが、「1200mの離れた道の両端からAは200m/分でBは300m/分で同時にスタートすると何分後に出会いますか?」と言う問題は普通に考えると二人は「500mずつ近づく」ので「速さの和」を使います。ところが、Aがフライングをして先に「1分歩いた」後にBもスタートしたとしましょう。すると途端に鉛筆が止まってピクリとも動かなくなる子がいるのです。問題演習をひたすら何も考えずにやってきて鍛錬してきた成果がこれなのです。恐ろしい限りです。フライングした1分分Aを進めてから同時にスタートし500mずつ近づいていくだけの話です。速さを理解していない学年であっても数値が単純であれば出来ることでしょう。

 これらは少し引っかかりやすい例ですが、もっと単純な、ここで例を挙げることがはばかられるような例もたくさんございます。先ほど述べたようにわり算で何が求まったのかが、自分で求めておいてわからないというようなことです。

 特に自分が何をしているのか、何を求めてどうしようとしているのかがわからないような場合には計算はできても意味が分かっていない場合があるので注意して見てあげてください。

 ずっと寝たきりであると人間は筋力が衰えて歩けなくなってしまいます。頭も同じで「考える」ことをしないで機械的に解くこと、解法丸暗記で解くこと、答えを逆に推測して当てにいくこと、計算がうまくいくように四則を適当に組み合わせて数合わせをしてしまう事、「当たり前のことを当たり前に考える」ことを捨てて、知識のインプットもなしに基礎基本の理解もなしに、こうしたことを繰り返していると「知性が破壊」されてしまい「考える」ことが出来なくなってしまうのです。

 また、「算数」と「数学」は違うので方程式を利用して考えるととんでもないことになってしまいます。「数学」を利用することで複雑怪奇なこととなり、入試ではとてもではありませんが、それを活用することは無理でしょう。

 方程式とはある種機械的に解くことを推奨する道具ですので、抽象的概念の多い「数学」の中では有効な方法なのですが、「考える」ことを違う部分で要求される「算数」ではあだとなってしまいます。

 普通に「算数」で考えれば簡単なことであっても「数学」で考えると解けなくなるのです。先ほど述べたように入試問題の解説を見ていても数学を利用して解いているものは訳が分からなくなっていており、いわゆる「捨て問」なのかと思ってしまうのですが「算数」で解けば簡単に解ける良問も多いのです。もちろん高校数学や大学入試から引用している問題もあって、それは小学生には無理でしょうという問題もあるのですが、その判定がつかないとすべてが「捨て問」になってしまって合格ラインを越えるために取るべき問題がなくなるので注意が必要です。

 どうか、「知性を破壊」することなく順当に基礎基本からコツコツと頭を鍛えていってほしいと思います。また、「当たり前のことを当たり前に考えられる」受験生が増えていくことを願っています。そうすることによって逆にあらゆる入試での出題に対応できる頭脳がいつの間にか出来上がっているのです。それは一生の宝物となる素地となります。

「なぜ応用問題ができないのか?」「どうして入試問題になると鉛筆がピタリととまるのか?」それは「本当は基礎基本がわかっていなかった」からなのです。それに気づいてほしいと思います。

 最後に当然ですがムキムキに筋トレしなくとも元気にバリバリと活躍して生きていくことは可能です。

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ゴールでありスタートの「受験の合格」その目的とは?

死を迎えるときには誰もが人生を振り返ることでしょう。 成功の定義は論をゆずるとして、その際に「後悔はあるが良い人生だった」「よくがんばった」と思うのか、それとも「何も成し遂げることがなかった」「もう一度一からやり直したい」と思うのか・・・

人生では、正直な自分が自分に「よく頑張ったね」と言える生き方が目的であって、誰も失敗したいと思って生きているわけではないと思います。

生徒から「一度もお葬式にでたことがない」と聞いて衝撃でした。そこまで核家族化が進んでしまっているのか、または、寿命が延びてきているのでしょうね。めったに身内が死ぬことがないのでしょう。そうなると人生について深く考えなくなるもしれません。いまは、「生」に対するありがたみが薄れるているのかもしれません。ニュースで流れる「死」はドラマや映画と同等のおとぎ話になっているかもしれないですね。

さて、こんな話を聞いたことがあります。大学を出て司法試験や医師免許に合格した人たちの話です。なかには天下を取ったような横柄なでかい態度で、就職先などを訪問して相手を驚かせるのだそうです。こうした人たちは一定数いるのだそうです。

なにがおかしいのかはおわかりですね?「まだ何事も成し遂げていない」のに天下を取ったような態度というのはやはり違和感があります。天下を取ったとしても感謝の気持ちでもって謙虚にしている人が本当の成功者には多いのではないでしょうか。少し深いことを言いますと「禍福は糾える縄の如し」と言いますので、成功の上り坂を上っているときに失敗の芽はあり、失敗の下り坂の渦中にあるときに成功の芽をつかんでいて、禍と幸福は一つの縄のようなものだということです。

こういう天下を取ったような慢心した態度からは、次の成功への芽は出ません。慢心とは努力の放棄や隙を生みますから転落への始まりとなります。

受験では当然「合格」することが目的ですが、合格についてよく言われていることですが「切符を手に入れただけで、乗車してこれから努力して目的地に向かわねばならない」と・・・

前置きが長くなりました。最近、某ナンバーワン大手塾にご在籍の方々から問い合わせが来ることがあります。私から見て成績や状況をきいていると「これはまずいな」と思われる場合であるにもかかわらず(ストレートにお伝え出来ませんが)「志望校に合格できる」感じなのですね。切迫感や危機感が感じられません。「藁にもすがる気持ち」ではなくて「大船に乗っていて、不沈戦艦大和なのだ」という感じがありありと伝わってきます。すでに不沈艦からは放り出されていて、大海原でおぼれそうになってアップアップしているのに、まだ大船に乗っている気分でいるのがこちらからはわかるのですが・・・・(私の長年の経験でこれは落ちるなと分かるのですが・・・当事者の皆様にはわからないようです)また、そうした大きな態度で入塾しても三国志の名著で有名な吉川英治氏のような「我以外みな我が師」というような謙虚な姿勢がなければ、人から物事を教わったり、受験を上手に過ごして合格することは難しいでしょう。(親が大きな態度であれば当然子の態度も同様であることはお分かりかと思います)

弊塾では模擬テストでよい偏差値が出た場合に徹底的に戒めます。なぜならば、模試で80%合格判定が出たら「合格したような気分」になって勘違いする生徒やご家庭があるからです。これは不思議ですが、事前によい結果が出ていると勉強しなくなったり、気が抜けたりするのですね。合格した後が本番なのですが、「合格」をまだいただいていないのに油断したりしてしまうのが人間の弱さ、心の隙というものでしょう。

過去問でもボーダーである合格最低点を超えていれば安心する人がいますが、これも2割増しぐらいで得点できていないと安心できません。当日は80%の力を出せればいいですから、事前には120%は得点しておきたいのです。(ここでは割合計算を単純化しています)

ですので、合格実績が多数出ている某有名大手塾に通っているからと言って合格を保証されるものでもなんでもないのですが、そう思ってしまう人たちもいるようです。しかも、ほとんどの人が入りたいといって入室テストを受験しているわけですから、この某大手塾に受験生が上位から順に入っていると考えてもよいと思います。

ということは、その大手塾での合格率は、入試本番での実質競争率2倍または超難関校の3倍をそのまま反映する結果になるといってもいいと思います。それは、同じ塾生同士の争いになるからです。しかし、実際はお受験小学校で塾に一切通っていなかったり、個別指導にて良い先生に算数だけ習っていたりという超合格確実層もその大手塾の外にいるわけですから、よくよく考えないと危ないです。

良く見聞きする話ですと、クラス分けテストで点数を取ることが目的となってしまっていて、肝心の「頭を鍛える」「考えられる頭になる」ということからほど遠い学習をしているといいます。そのクラス分けテストで良い点をとってクラスをキープまたはジャンプアップできれば合格できると思って、本末転倒なことをしている方々がいるといいます。(本来的には競争の原理で勉強させる目的なのであながち間違いでもないのですが、極端な話で答えを覚える、解き方を覚えるといった学習になってしまうわけですね)さらに、宿題に追われて考えることをせず、といいますか、インプットなしで「知識なくして議論なし」であるにも関わらずアウトプットばかりをしているのは、まさに「頭を悪くする訓練」をしているようなものです。(復習で通ってらっしゃるエリート層はやることがなく暇なので、こうした演習中心で合格を確実にしてらっしゃると思います)

そんななか、せっかくお家の方がこうしたことに気づいたとしても、当の本人が6年生ともなるとなかなか塾を変えるという環境を変えるという決断ができないようです。ですので、転塾される場合には、とことん下がったりしたり、変わらざるを得ない状況になってから弊塾の門をたたかれる方が多いです。それもそのはず、学校では某大手塾の生徒たちが我が物顔で天下を取ったような振る舞いをしていると聞きます。そうした中で今更塾を変えられるかという子どもの側の学校での人間関係もあるのでしょう。しかし、そんな見栄とか体面を考えている場合ではなくて、その有名大手塾に在籍することを目的とするのではなくて、受験生ですから「志望校合格」を目的としなければならないはずです。落ちればそれこそただの人というよりも、そうした我が物顔の振る舞いだったのであればその落差は激しいことは想像できます。

ですので、親としても「まずい、これは確実に落ちるな」または「こんな考えられない頭では中高では通用しなくなるな」という予感がしてもなかなか現状を変えれなかったりするようです。大手塾ではわざわざご親切な苦言を呈してくれることはないでしょう。「算数を捨てなさい」というような恐ろしい提案はあるかもしれませんが。そういう手もありますが、その後の6年間はどう過ごすのでしょうか?想像しただけでも身の毛がよだちます。算数・数学からは逃げられません。

学校が来てほしいと思う生徒像はどんな人たちか想像してみてください。それは「考えることができて」「努力して勉強する」生徒ではないでしょうか。本来、こうした生徒を選抜し、ふるい分けるために入学試験をしているのではないでしょうか。クラス維持のための勉強で本末転倒なことをしていては、たまたま難関校に合格してしまったら、それこそ6年間は悲惨なものとなるでしょう。そうならないためにも本質的な勉強とは何かを突き詰めて一度考えられることをお勧めいたします。

合格するために勉強するのは、頭を良くして考えれるようになるためなのですが、手段が目的になってしまっていることが残念でなりません。

かといって、私がこういうことをご忠告差し上げても「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」と言いますように、私を含め普通の人間は経験しないとわからないといったことは世の常でございます。ふと目を止めてくださった方は、どうぞこのことを記憶にとどめて気を付けて受験に臨んでいただきたいと思います。

始まりがあれば終わりがあります。私たちの人生の旅とは、「成功」して死に際に感謝の気持ちで人生を終えることではないでしょうか。

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小野算数塾の「基本の徹底」とは「算数の奥義を極める」こと

小野算数塾では、「基礎の重視」「算数の仕組みの理解」と「その活用」を掲げています。 よく誤解されるのですが「基本問題」をやって「簡単な問題ができるようになる」ことだけを目指しているのではありません。もちろん基本問題を徹底的に解かせることをしますが、それは「スラスラ解けること」ももちろん目指しますが、「算数のコアな部分」「本質」を腑に落とすということが重要な目的なのです。いつでもそれをさっと取り出せる状態にまで徹底していきます。

なぜそんなことをするのかと言いますと、算数の入試問題は典型題も出題されますが、少しずつズラして出題されるのです。そして難関校になるほど「見たことがない」と思えるぐらいのズラし方をしてきます。ただ、それは算数史上初めての発見をしないと解けない問題ではなくて、必ず算数の基礎基本のコアな部分を使うわけです。とんでもない難解なことを解かされるわけではないのです。入試問題で難しく見える問題も基本が組み合わさっていて、それに気づくかが解けるかどうかということにつながります。たまに悪問のたぐいも存在しますが、それを解ける受験生はいませんので合否にはかかわりません。 そうなのです。今までに出題された入試問題パターンをすべて学習するとなると、自動的に解かないといけない問題数、習得しないといけない問題数は数限りなくなってしまいます。時間と体力と記憶に限りがある人間には不可能なものとなってしまいます。

ただし、そのコアな部分を習得してそれを使って「考える」ということをしていく場合には、あらゆる入試問題に対応できる力がつくのです。学校側もそうした「考える力」を入試で測りたいがために毎年あの手この手でいろいろな見え方がするように問題を出題してきているのです。 ですので小野算数塾では、「何を問われているのか」ということの学習を徹底しています。こうしたことから、真の実力がつくのです。また、学校側が入学してほしい「算数の本質を理解」した生徒を育てているため、小野算数塾の卒塾生は、合格後も伸び続けていくのです。※学校側の採点も、出題意図を見抜いて算数の考え方を美しく提示できた答案に高得点を与えています。

開成や桜蔭の合格者がインタビューでよく「基礎基本が大切だと思います」と答えているのは、こうしたことに気づいていたからこそ合格していることの証左です。もちろん、そうでなくてなんとなく合格しちゃった場合には、大変な6年間が待ち受けていることになります。

小野算数塾では、「問題を解けるようにする」だけではなくて、そうした基本重視から「算数の奥義を極める」ことを目的としているため入試本番に強い「考える力」のある受験生を育てているのです。

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羽生結弦選手も凡事徹底した?

羽生結弦選手66年ぶりのオリンピック連覇という快挙おめでとうございます。 羽生選手はブライアン・オーサーコーチの門をたたいたそうですが、当然ジャンプなど難度の高い技を鍛えてくれるものと教えを請うたわけです。しかし、 オーサーコーチは基本を徹底的に鍛えることしかしなかったそうです。 羽生選手も面食らってたそうです。しかし、 結局基礎のスケーティングの荒さがエネルギーのロスになり、 余計な力が入ってしまい肝心のジャンプでの失敗につながるという事に納得して教えに従ったそうです。そして、徹底的に基礎トレーニングを積んだ羽生選手は 「普段通りにやれば必ず勝てる」と思えるようにまでなったそうです。

なんと小野メソッドにそっくりではないですか?弊塾では「凡事徹底」を教育方針として掲げていて基礎から鍛え上げることを重視しています。そうすることで自然に難しい問題も解けるようになるのだと教えています。オリンピック金メダルを目指すような、世界の頂点を目指す場合でもこのロジックは共通するのだなと思うと感慨深いものがあります。

ただ、残念なことに羽生選手のように納得して基礎からトレーニングを積んでくれたらいいのですが・・・たまに、成績が良い生徒さんで事の重要さに気づかずに、 ぷいっとそっぽを向かれてよそに行かれてしまうことがありますが残念です。または、基礎なんて・・・と勝手に基礎軽視になっている塾生がいたら考え直してほしいと思います。

ただ、基礎基本が大切なんだと言われても、凡事徹底をしたことがないと、 何が基礎基本かもわからないと思います。また基礎がわかったとしてもどうやって鍛えていけば良いのかなかなかわからないのではないでしょうか。弊塾には、基礎基本の重要性を訴え実践し実績を出してきたからこそのノウハウが蓄積されてると自負するものですがいかがでしょうか。

 

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【要注意】算数ができなくなる分水嶺「チェックポイント」

アランの「幸福論」に次のような話があります。 「ピンの発見」の話です。 「赤ん坊が泣き止まない」のでミルクを与え、おしめも変えたのに泣き止まない。どうしたのだろうと悩んでいたところ、身にまとっていた服のピンが当たって痛くて泣いていただけだという話があります。 また、アレクサンドロス大王の名馬ブケファラスの話があります。贈り物のブケファラスが暴れ馬で困っていました。しかしアレクサンドロスはあることに気づきます。馬は自分の影に怯えて暴れているだけだと。そして、怯えるとさらに自分の影が動いてさらに怖くなって暴れてしまうという悪循環に気づきました。そこで馬の鼻づらを太陽に向けると暴れなくなったという逸話が残っているそうです。

そうなのです。本当の原因は意外なところにあるのです。

算数でもこうしたことがあります。算数をできるようにしようとして悪循環に陥っていないでしょうか?その勉強方法は「ピン」を発見できていますでしょうか。見当違いな勉強方法を続けていっても、いつかは算数・数学がにっちもさっちもいかなくなることをご存知でしょうか。たとえ志望校の入学試験を突破できたとしても、その後大変な6年間が待っていることになります。算数数学からは逃げることは出来ないのです。

それに、偏差値がまったく取れなかったり、入試問題の合格者平均に全く届かないという現実を目の当たりにしてからでは手遅れという場合もございます。こうしたことを前提として、真剣に次のチェックポイントをご参考にしていただけましたらさいわいです。

①ひっ算だらけ

②問題をどう解いたのかわかりづらい

③問題文を何回も読んでいる

④とにかく類題でないと習っていないと言い張る

⑤なんだかあてずっぽうで解いている

⑥規則に気づかずとにかく根性で調べ上げている

⑦難しい問題だと思い込んで複雑な解き方をしている

⑧解いたあとが方程式になっていることが多い

⑨手が止まってまったく動かない(何も考えられなくなり思考停止する)

⑩どうも何も考えずに×÷+-の四則を駆使して答えらしきものを探索している

⑪「ビンゴ」などといって答えらしき数字に見当をつけて当てもののように割り出している

⑫どうも模範解答の横式を丸暗記しているようだ

⑬算数の問題が無限の種類があるように思っていて、難しい問題をどんどんとやりたがりどれも身についていない

⑭自分で計算した数字が何を求めたのかを答えられない。

⑮算数のエッセンスから考えて問題を解くことができず、すべての問題パターンをやらないと落ち着かず、それだけ解きまくっている割には得意にならない。

まだまだチェックポイントはありますが、これくらいにさせてください。

算数が難しいという思い込みでその影におびえて、悪循環の勉強をしていませんでしょうか。ただ単に「基本がわかっていないだけ」「理解をしていないだけ」「当たり前のことを当たり前に考えていないだけ」ではないでしょうか。にもかかわらずレベルがアンマッチな問題ばかりに一生懸命取り組んでいては、「ピンの発見」が出来ていないと言わざるを得ません。当塾に通われた際に、本当に初めは皆さん「え?こんな基本的な事から始めるのですか?」と少し驚かれますが、それは「ピン」が発見できていないのですね。そして、いつの間にか「難しい問題も自然に解ける!!!」となってから「なるほどそういうことだったのですか」と気づいていただけます。

弊塾に来られる場合に、5年生とか6年生から来られる場合も多いのですが、できれば4年生から算数の基本動作をしっかりと身に付けると本当に余計な苦労をしなくて済みます。上記のようなことであれば、いずれ壁にぶちあたりにっちもさっちもいかなくなります。模擬テストでショックを受けてから、または、入試問題を解き始めてから衝撃の事実に気づいて、途方に暮れてから来られるよりは、早め早めで来ていただけますと苦労が少なくて済みます。どこでついたのか沢山の悪癖をひっぺがす作業は大変な苦痛を伴います。

願わくばそうならないようにしてあげたいと思っています。

 

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大切な大切な夏休み

夏休みが始まり、夏期講習会もスタートしています。 特に受験生にとっては「合格が決まる夏」となることはご存知のことと思います。では、なぜ合格が8割方は夏で決まってしまうのでしょうか?それは、夏休みは普段の3倍~4倍の受験勉強を集中的にできる期間だからです。どこの塾でも普段の3か月分4か月分の授業を組んでいるのではないでしょうか。そうなのです。「ボーーーと過ごす」のも「一生懸命過ごす」のも「一瞬」の出来事なのです。こんなに大切な大切な夏休みは、3か月分4か月分の受験勉強ができる絶好の機会であるのに「一瞬」で過ぎ去ってしまうのです。ですので、夏休みのペースをしっかりとつかむこと、スタートダッシュが重要なのです。「チャンスの女神には前髪しか生えていなくて、気づいた時につかもうと思っても後頭部には髪が生えていないからつかめない」と言う話がありますが、その通りですね。

次に、気を付けないといけないのは、勉強のバランスです。算数で得点させることができないとなると、国語と理科と社会がよほど出来ないとそれをカバーすることはできません。算数の失点は他の3教科で補いきれないから「中学受験は算数で決まる」と言われています。(算数の失点は他教科で5点とかの話では済まないで30点50点でも失点してしまいます。さらに算数は0点もあり得る教科なので恐れられているのです)

ですから、大手塾でも算数をしっかりと勉強してくださいと国語や理社の先生がおっしゃる理由です。過去問の点数を横並びできちんと見てあげているとそういうことが一目瞭然でわかると思います。私の経験から、だいたい受験で第1志望に合格してくる生徒は算数に8割の時間を割いているように思います。【パレート2割8割の法則による】そうしたことからもこの仮説で受験指導して、結果が良いということからも、この仮説はほぼ正しいと言えると確信を持っています。

ただ、算数を得点させようとするとなかなかその指導には知識と経験と指導ロジックが必要で、誰でも指導できるという簡単なことではないのです。なので、受験に成功されるご家庭では算数の指導者を探すのでしょうね。ですので、算数以外の3教科なら得点しやすいのですが、算数で取れない分まで得点しようとなると相当得点しないといけません。さらに学校側が今後の大学入試の出題方針を踏まえて論理的に考える力を持った生徒を獲得したいという思いから、今後ますます算数重視の入試になることは容易に予測できます。

算数の得点が難しい理由は、入試本番の算数は「考える力」が必要であって、「慣れれば(意味が分かってなくても)なんとなく得点できる」単元テストや模擬テスト程度の学力では突破できないからです。入学試験は「本当にわかっているのか?」を選別するための試験なのです。考える力のない受験生を極力排除しようという目的でつくられるのです。入試問題の過去問を解く季節になると「鉛筆が動かない」受験生の「答案は真っ白」で「顔色は真っ青」といった現象が起きてくる理由です。それでも、入試本番を「なんとなく突破」してしまったとしたら・・・それは、「夢の6年間」ではなく「悪夢の6年間」となってしまいます。入学するより入学後の6年間のほうが大切なのです。

努力=成功となる指導を弊塾は教育方針としています。努力が実らないという人生観を青年期に獲得することは人生の悲劇です。どうか、このことに気づかれて賛同される方は、ご連絡をください。心よりお待ち申し上げております。

次回は、気が付いた時には手遅れの上記のようなことにならないよう算数のチェックポイントを述べたいと思います。

 

 

 

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